孝元天皇皇子・大彦命の後裔(古代豪族安倍氏)
『古事記』『日本書紀』によれば、第8代孝元天皇の皇子である大彦命を始祖とする古代豪族で、もともと「阿倍」「安倍」と表記された。大彦命は四道将軍の一人として北陸道を平定したと伝えられ、その子孫は大和朝廷の重臣として朝政に参与し、阿倍内麻呂・阿倍比羅夫など著名な人物を輩出した。後世「阿部」の表記が広まった。
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SURNAME ETYMOLOGY
あべ/アベ/Abe
氏族姓
阿部(あべ)は全国第20位、約49万世帯を擁する古代氏族姓。第8代孝元天皇の皇子・大彦命を祖と伝える名門「安倍氏」に由来し、「安倍」「阿倍」と同源である。古代は宮廷の重臣を輩出し、平安後期には陸奥の俘囚の長・安倍頼時が前九年合戦で名を馳せた。東北地方に濃密に分布する。
STROKES & FORTUNE
天格(てんかく)は姓の総画数で、家系から受け継ぐ運勢を表します。姓名判断では他に 人格・地格・外格・総格 の五格があり、名前との組み合わせで運勢を判定します。→ 阿部姓で姓名判断する
STROKE ORDER
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THEORIES
『古事記』『日本書紀』によれば、第8代孝元天皇の皇子である大彦命を始祖とする古代豪族で、もともと「阿倍」「安倍」と表記された。大彦命は四道将軍の一人として北陸道を平定したと伝えられ、その子孫は大和朝廷の重臣として朝政に参与し、阿倍内麻呂・阿倍比羅夫など著名な人物を輩出した。後世「阿部」の表記が広まった。
平安後期、陸奥国奥六郡(現・岩手県内陸部)を支配した俘囚の長・安倍頼時の一族は、前九年合戦(1051〜1062年)で源頼義・義家と戦って滅亡したが、その遺裔が「阿部」「安倍」を称して東北各地に広く広がったとされる。安倍貞任・宗任兄弟の名は今も東北で語り継がれ、東北地方に阿部姓が突出して多い背景となっている。
出典: [nihonshoki]、[ota]、[niwa]
古代豪族安倍氏の支流から出た陰陽家・安倍晴明(921〜1005)の子孫は土御門家として近世まで陰陽道宗家を継承した。一方、徳川譜代大名の阿部氏(武蔵忍藩・備後福山藩等)は三河出身で、阿部正弘(幕末老中首座)を出した名門。これら諸流が「阿部」表記を広めたと考えられる。
古代の阿倍氏(安倍氏)は孝元天皇の皇胤を称し、大彦命の系譜を伝える。阿倍比羅夫は斉明朝に蝦夷征討・粛慎遠征で名を馳せ、阿倍内麻呂は大化改新政権の左大臣を務めた。平安期には陰陽師として安倍晴明が活躍。同じ平安後期、陸奥では俘囚の長・安倍頼時の一族が奥六郡を支配したが、前九年合戦で源頼義・義家に敗れて滅亡。一族の生き残りは「阿部」と表記を変えて東北各地に潜んだと伝えられ、これが東北地方に阿部姓が極めて多い理由とされる。中世以降は三河の阿部氏が徳川家に仕え、江戸期には譜代大名として武蔵忍・備後福山などを領有。幕末の老中首座・阿部正弘はペリー来航時の日米和親条約締結で知られる。
DISTRIBUTION
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FAMOUS PEOPLE
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飛鳥時代の将軍。斉明天皇の命で蝦夷を征討し、粛慎へ遠征したことで知られる古代の名将。
平安中期の陰陽師。土御門家の祖で、後世「陰陽道の祖」として伝説化された。
江戸後期の老中首座。備後福山藩主。ペリー来航時に日米和親条約を締結し、開国の道筋をつけた。
俳優。『テルマエ・ロマエ』『新参者』などで主演し、日本を代表する個性派俳優の一人。
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