神仏習合(しんぶつしゅうごう)は、日本に伝来した仏教と土着の神道が長期にわたって融合・共存した日本独自の宗教文化です。奈良時代から明治初期の神仏分離まで1,200年以上にわたって続き、現代の神社・寺院文化の多くの側面に深く影響しています。本記事では神仏習合の歴史を中立的に紹介します。
神仏習合の始まり
仏教が公式に日本に伝来したのは6世紀(538年または552年)とされます。当初は仏教受容をめぐって蘇我氏と物部氏が対立しましたが、最終的に仏教は朝廷に受け入れられ、土着の神道と並存する形が形成されたとされます。
奈良時代には神社と寺院が同じ境内に共存する「神宮寺(じんぐうじ)」「神社内仏堂」が広く成立し、神道と仏教の融合が制度化されました。
本地垂迹説
平安時代に「本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)」が広まりました。これは「日本の神々は仏教の仏菩薩が日本に降臨した姿(垂迹)であり、本来の姿(本地)は仏菩薩である」という説とされます。
たとえば天照大神の本地は大日如来、八幡神の本地は阿弥陀如来、というように神々と仏菩薩が対応付けられました。これにより神道と仏教は理論的にも一体化が進んだとされます。
明治の神仏分離
明治政府は1868年(慶応4年)に「神仏分離令」を出し、神道と仏教の分離を強制しました。これに伴って各地で「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」と呼ばれる仏教排斥運動が起き、多くの寺院が破壊・廃寺となったとされます。
神宮寺は廃止され、神社から仏像・仏具が撤去されました。これにより1,200年続いた神仏習合の制度的形は終わりましたが、民衆の信仰レベルでは現代まで習合的要素が残っているとされます。

全世界の姓名判断や鑑定、占いを統合し、その英知を42年間学び続けた占い師。伝統的な熊崎式姓名判断に中国・韓国・台湾など東アジアの命名哲学、さらには西洋の数秘術までを横断的に研究。姓名判断大全の全記事を監修し、赤ちゃんの命名から改名・社名決定まで、実務的な指針の提供を使命としている。
