日本の職業占い師は、明治の易聖・高島嘉右衛門(1832-1914)に始まり、昭和初期に姓名判断を体系化した熊崎健翁、戦後ラジオで広まった水野南北系の系譜、テレビ全盛期の細木数子・木村藤子、そしてSNS時代のミニ占い師群へと連なります。本記事では、各時代を代表する占い師を生没年・代表著作・主要メディアとともに史実ベースで年表化し、戦後日本における占い文化の連続と断絶を読み解きます。占いを「個人の趣味」ではなく「社会現象」として見るための土台になる一覧です。
明治・大正期 ── 高島嘉右衛門と易聖の系譜
明治の占い文化を語る際、避けて通れないのが高島嘉右衛門(1832-1914)です。横浜の実業家として高島町(現・横浜市西区)の埋立事業を手がけた人物で、易学を独学し、伊藤博文・板垣退助・乃木希典ら明治の政治家に易を立てた逸話で知られます。著書『高島易断』(1886年初版・全10巻)は、明治の知識人にとって易の標準テキストとなりました。
大正期に入ると、占いは新聞の運勢欄として大衆化します。1925年の『大阪朝日新聞』に星座占いコラムが定期掲載され、1929年には『主婦之友』が手相・人相の特集を組みました。職業占い師は街頭から雑誌・新聞へと活動の場を広げ、教養層への浸透が進みました。
この時期に頭角を現したのが熊崎健翁(1881-1961)で、1934年『姓名学大全』を上梓し、画数による五格分類(天格・人格・地格・外格・総格)を体系化しました。これが現代日本で最も流通する「熊崎式姓名判断」の祖型です。
- 高島嘉右衛門1832-1914。横浜の実業家・易学者。『高島易断』1886。
- 明治の易聖伊藤博文・板垣退助・乃木希典に易を立てたと伝わる。
- 新聞運勢欄1925年大阪朝日新聞、星座占いの定期掲載開始。
- 熊崎健翁1881-1961。1934『姓名学大全』。五格分類を体系化。
- 雑誌占い1929『主婦之友』、手相・人相の特集で大衆化が進行。
戦後復興期 ── ラジオ・週刊誌と占いの大衆化
敗戦後、占いは「混乱した社会の道しるべ」として急速に需要を伸ばしました。1948年の生活綴方運動の中で女性誌に占い欄が増え、1953年にNHKラジオが朝の星座占いコーナーを開始したと言われます(番組記録には諸説あり)。テレビ放送開始(1953年)と同時期に、占いは聴覚・映像メディアへ滑り込みました。
1960年代になると、浅野八郎(1934-)が手相占いの大衆書を多数出版し、書店の占いコーナーを定着させました。同時期、姓名判断では熊崎健翁の弟子筋が地方の鑑定所を構え、職業占い師の全国ネットワークが形成されます。
1970年代には週刊誌の占い特集が定番化し、『女性自身』『週刊女性』などが毎号占いページを設けるようになります。占い師は「個人鑑定」と「メディア出演」の二本柱で生計を立てる職業として確立しました。
- 1948-1953女性誌・ラジオで占いコーナーが定常化。
- 浅野八郎1934-。1960年代に手相占いの大衆書を多数出版。
- 熊崎門下全国に姓名判断鑑定所のネットワークが形成。
- 週刊誌1970年代『女性自身』『週刊女性』で占い特集が定常化。
- 二本柱個人鑑定とメディア出演で生計を立てる職業モデル成立。
テレビ全盛期 ── 細木数子・木村藤子の時代
1980年代から1990年代、テレビ番組の長時間化と娯楽化により、占い師がプライムタイムに出演する時代が訪れます。代表が細木数子(1938-2021)で、独自の「六星占術」を1984年に発表、累計1億部超の関連書籍を生み出しました。フジテレビ『ズバリ言うわよ!』(2003-2007)で、芸能人を相手に直言するスタイルが社会現象となりました。
もう一人の象徴が木村藤子(1944-)で、青森のスピリチュアルカウンセラーとしてTBS『天才!志村どうぶつ園』『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』に登場しました。江原啓之(1964-)の『オーラの泉』(2005-2009)と並び、平成のスピリチュアル・ブームを牽引した3人といえます。
この時期、占い師は出版社・テレビ局・タレント事務所と複数の契約を結ぶ「ビジネス占い師」として確立し、後述する高額納税者公示制度(〜2005年)でもその所得が話題となりました。
- 細木数子1938-2021。六星占術1984。『ズバリ言うわよ!』2003-2007。
- 木村藤子1944-。青森のスピリチュアルカウンセラー。
- 江原啓之1964-。『オーラの泉』2005-2009で平成ブーム牽引。
- ビジネス化出版・放送・事務所と複数契約のビジネス占い師モデル。
- 公示2005年廃止までの高額納税者公示で所得が話題に。
平成後期〜令和 ── SNS・アプリと占いのミニ化
2010年代に入ると、ブログ・Twitter・YouTubeなどで活動するミニ占い師が爆発的に増加しました。テレビ局を介さず個人で集客できる構造が整い、月額制オンライン鑑定や占いアプリ(『ハニホー』『LINE占い』など)が普及しました。象徴的な存在がゲッターズ飯田(1975-)で、お笑い芸人出身の占い師として2014年頃からテレビ・出版・YouTubeで活動を広げています。
令和期にはAIによる姓名判断・四柱推命・タロットも一般化し、Webサイトでの自動鑑定が日常化しています。本サイトもその一つで、熊崎式姓名判断を計算ロジックに落とし込んでいます。占い師の地位は「カリスマ一極集中」から「ロングテールな多数共存」へと変化しました。
それでも、テレビ全盛期に確立した「占い師=人生の助言者」というイメージは令和でも生き続けており、SNS上のミニ占い師たちもこのフォーマットを踏襲しています。占い文化史は、メディア環境と並走しながら今も更新されています。
- 2010年代ブログ・Twitter・YouTubeでミニ占い師が増加。
- ゲッターズ飯田1975-。お笑い芸人出身。2014頃から多メディア展開。
- 占いアプリハニホー・LINE占い・mirororなど月額制が普及。
- AI占い令和期にWeb自動鑑定が定着。本サイトも熊崎式を実装。
- 構造変化カリスマ一極集中からロングテール多数共存へ。
通史的視点 ── 占い師の「社会的位置」の変遷
高島嘉右衛門から令和のSNS占い師まで、共通するのは「不確実な時代に確信を提供する存在」という社会的位置です。明治は近代化、戦後は復興、平成はバブル崩壊と就職氷河期、令和はパンデミック・気候変動と、時代の不安が常に占いの需要を底上げしてきました。
他方、占い師の業態は明確に変わりました。明治・大正は「街頭・知識人サロン」、戦後は「鑑定所+メディア出演」、平成は「テレビタレント+出版」、令和は「SNS+アプリ」と、メディア環境ごとに業態が刷新されています。
このように、戦後日本の占い文化は単線的な発展ではなく、メディア環境と相互作用しながら多層化してきたといえます。本サイトの他の文化史コラム(細木数子の銀座、TV占い番組史、占いと法律など)と合わせて読むと、点と点が線になっていきます。
故 細木数子氏 (1938-2021) は、戦後日本の占術界に大きな影響を残した人物です。当サイト編集部は、業績への敬意と批判的視点の両方を持ちながら、史実に基づく人物像を伝えることを目指しています。本記事の情報は公開資料・各種報道・本人著作を基にしており、推測に基づく断定は避けています。

全世界の姓名判断や鑑定、占いを統合し、その英知を42年間学び続けた占い師。伝統的な熊崎式姓名判断に中国・韓国・台湾など東アジアの命名哲学、さらには西洋の数秘術までを横断的に研究。姓名判断大全の全記事を監修し、赤ちゃんの命名から改名・社名決定まで、実務的な指針の提供を使命としている。
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