肥前国高来郡千々石発祥の地形姓説(最有力)
肥前国高来郡千々石は、現在の長崎県雲仙市千々石町にあたる古代以来の地名とされる。雲仙岳の西麓・橘湾(千々石湾)に面する海辺の里で、中世には肥前有馬氏の支配下に入り、在地武士・千々石氏が活動したと『有馬家文書』『肥前国風土記』関連伝承に伝えられる。地名「千々石」は「千々(ちぢ・小石が多数)」と「石」を組み合わせた地形語で、海岸の礫浜の景観に由来するとする説が最も有力視されている。
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SURNAME ETYMOLOGY
ちぢわ/ちぢいわ/チヂワ/チヂイワ/Chijiwa / Chijiiwa
地形姓
「千々石」は肥前国高来郡千々石(現・長崎県雲仙市千々石町)に由来する地形姓とされ、橘湾(千々石湾)に面した古来の海辺の里を発祥とする。天正遣欧少年使節の一員・千々石ミゲル(1569 頃-1633 頃)を輩出した家系として歴史にその名を残す難読姓である。
天格・人格・地格・外格・総格の五格を、熊崎健翁式 81 数理に基づき即時判定します。
STROKES & FORTUNE
天格(てんかく)は姓の総画数で、家系から受け継ぐ運勢を表します。姓名判断では他に 人格・地格・外格・総格 の五格があり、名前との組み合わせで運勢を判定します。→ 千々石姓で姓名判断する
STROKE ORDER
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THEORIES
肥前国高来郡千々石は、現在の長崎県雲仙市千々石町にあたる古代以来の地名とされる。雲仙岳の西麓・橘湾(千々石湾)に面する海辺の里で、中世には肥前有馬氏の支配下に入り、在地武士・千々石氏が活動したと『有馬家文書』『肥前国風土記』関連伝承に伝えられる。地名「千々石」は「千々(ちぢ・小石が多数)」と「石」を組み合わせた地形語で、海岸の礫浜の景観に由来するとする説が最も有力視されている。
中世の肥前国島原半島を支配した有馬氏の支流が千々石郷に拠って千々石氏を称し、戦国期にはキリシタン大名・有馬晴信のもとで活躍したと伝えられる。天正 10 年(1582 年)に有馬晴信・大村純忠・大友宗麟ら九州キリシタン大名が派遣した天正遣欧少年使節の正使の一人・千々石ミゲルはこの一族の出と『天正遣欧使節記』等に記される人物である。
古語「ちぢ(千々)」は「無数の・小さな」を意味する数詞・接頭語で、「千々石」は「無数の小石が並ぶ地」すなわち礫浜・河原を指す古い地形語に由来するとされる。橘湾に面する千々石海岸は現在も砂礫海岸で知られ、地名の由来として整合する景観を保つとされる。
肥前国高来郡千々石は、雲仙岳西麓・橘湾沿岸の古来の港町で、平安〜鎌倉期から肥前国の交通の要衝として知られたとされる。中世には島原半島を支配した有馬氏の支族・千々石氏が拠り、戦国期にはキリシタン大名・有馬晴信のもとで重要な家臣団を構成した。天正遣欧少年使節の正使の一人・千々石ミゲル(1569 頃-1633 頃)はこの一族の出で、欧州渡航から帰国後は棄教した人物として記録される。江戸期の島原の乱(1637-38 年)の影響で千々石郷は壊滅的打撃を受け、一族の多くが各地に散ったと伝えられる。明治の苗字必称義務令(1875年)以降、地名を姓として届け出た家が現代に伝わり、長崎県を中心に少数分布する希少姓となった。
DISTRIBUTION
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FAMOUS PEOPLE
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戦国〜江戸初期のキリシタン武士で、天正 10 年(1582 年)に派遣された天正遣欧少年使節の正使の一人として欧州を訪れたと『天正遣欧使節記』『日本イエズス会年報』等に記される人物。帰国後は棄教したと伝えられる。
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