野見宿禰始祖・埴輪起源説(最有力・記紀記載)
『日本書紀』垂仁天皇 32 年条によれば、出雲国造の祖・野見宿禰が、皇后日葉酢媛命の薨去に際し殉死の風習に代えて埴輪を立てることを奏上し、垂仁天皇から「土師臣(はじのおみ)」の姓と土師連の氏(うじ)を賜ったと伝えられる。以後、土師氏は古墳の築造・埴輪の製作・天皇家の葬送儀礼を世襲的に司った氏族とされ、「土師」姓の原点はここに求められる。
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SURNAME ETYMOLOGY
はじ/はぜ/はせ/どし/ハジ/ハゼ/ハセ/ドシ/Haji / Haze / Hase / Doshi
氏族姓
「土師」は古代日本で埴輪の製作と古墳築造・葬送儀礼を司ったとされる土師氏(はじうじ)に由来する古代氏族姓で、出雲の英雄・野見宿禰(のみのすくね)を祖と『日本書紀』に伝えられる。後世に菅原氏・大江氏・秋篠氏の三家に分流したとされ、菅原道真の遠祖としても知られる。
天格・人格・地格・外格・総格の五格を、熊崎健翁式 81 数理に基づき即時判定します。
STROKES & FORTUNE
天格(てんかく)は姓の総画数で、家系から受け継ぐ運勢を表します。姓名判断では他に 人格・地格・外格・総格 の五格があり、名前との組み合わせで運勢を判定します。→ 土師姓で姓名判断する
STROKE ORDER
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THEORIES
『日本書紀』垂仁天皇 32 年条によれば、出雲国造の祖・野見宿禰が、皇后日葉酢媛命の薨去に際し殉死の風習に代えて埴輪を立てることを奏上し、垂仁天皇から「土師臣(はじのおみ)」の姓と土師連の氏(うじ)を賜ったと伝えられる。以後、土師氏は古墳の築造・埴輪の製作・天皇家の葬送儀礼を世襲的に司った氏族とされ、「土師」姓の原点はここに求められる。
土師氏は奈良時代以降、本拠地ごとに大和の菅原(現・奈良市菅原町)・河内の毛受(もず)・和泉の道明寺などに分かれて居住し、平安初期の延暦元年(782年)以降に桓武天皇の許可を得て、菅原氏・大江氏・秋篠氏の三家に改姓したとされる。菅原氏は菅原道真を、大江氏は大江匡房・大江広元らを輩出し、いずれも『新撰姓氏録』に土師氏の同族として記載される。「土師」姓を継いだ家は分流に加わらなかった支流とされ、現代まで少数が伝わる。
「土師(はじ・はにし)」は本来「土を捏ねる者」を意味する古代の職能名で、埴輪・土器・瓦の製作に携わった工人集団を指したとされる。氏族としての土師氏成立以前から職能集団としての「土師部(はじべ)」が存在し、各地の窯業地に展開していた。読みの揺れ「はじ/はぜ/はせ」は、この職能語の地域・時代ごとの音変化に由来するとされる。
土師氏は古墳時代から天皇家の葬送儀礼・古墳築造・埴輪製作を世襲的に司った古代氏族と『日本書紀』『新撰姓氏録』等に記される。本拠地は大和(菅原・秋篠)・河内(毛受)・和泉(道明寺)に分散し、各地に「土師」「土師ノ里」の地名・古墳群が残るとされる。奈良時代後半、土師氏は葬送儀礼に関わる氏族としての印象を避けるため、桓武天皇に願い出て改姓を許され、延暦元年(782年)以降に菅原氏・大江氏・秋篠氏の三家に分かれた。改姓に加わらなかった支流が「土師」姓を継承し、現代でも近畿・中国地方を中心に少数が分布する。読みは地域差が大きく、「はじ」「はぜ」「はせ」「どし」と多様で、同じ表記でも家系・地域により異なる。
DISTRIBUTION
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FAMOUS PEOPLE
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出雲国造の祖と『日本書紀』に伝えられる古代の人物で、土師氏の始祖とされる。埴輪の創始者として相撲・葬送儀礼の祖神に位置づけられている。
奈良時代の歌人で、『万葉集』に複数の歌を残したと伝えられる土師氏の代表的人物。
平安時代の学者・政治家・歌人で、土師氏から菅原氏に改姓した家系の代表的人物として『新撰姓氏録』『続日本紀』等に記される。後に天満天神として広く信仰された。
平安後期の学者・歌人・政治家で、土師氏から大江氏に改姓した家系の代表的人物とされる。『江家次第』の編纂者として知られる。
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