藤原氏北家閑院流・北山西園寺由来説(最有力)
藤原氏北家閑院流の出である藤原公経(ふじわら の きんつね、1171-1244)が、京都北山(現・京都市北区衣笠周辺)に「西園寺」と号する山荘を営み、これを家号としたことが家名の起源と『公卿補任』『尊卑分脈』等に伝えられる。西園寺はもと公経の祖父・通季が建立した寺院に由来する名で、後に山荘・邸宅の名として継承されたとされる。この西園寺旧地には、後に足利義満が北山殿(現・金閣寺=鹿苑寺)を造営したことが知られる。
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SURNAME ETYMOLOGY
さいおんじ/サイオンジ/Saionji
藤原系
「西園寺」は藤原氏北家閑院流の支流で、京都北山に営まれた山荘「西園寺」を家号としたと伝えられる清華家・公家の名門姓である。鎌倉〜江戸期を通じて内大臣・太政大臣を輩出し、明治以降は元老・西園寺公望(さいおんじ きんもち)を輩出した家系として知られる。
天格・人格・地格・外格・総格の五格を、熊崎健翁式 81 数理に基づき即時判定します。
STROKES & FORTUNE
天格(てんかく)は姓の総画数で、家系から受け継ぐ運勢を表します。姓名判断では他に 人格・地格・外格・総格 の五格があり、名前との組み合わせで運勢を判定します。→ 西園寺姓で姓名判断する
STROKE ORDER
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THEORIES
藤原氏北家閑院流の出である藤原公経(ふじわら の きんつね、1171-1244)が、京都北山(現・京都市北区衣笠周辺)に「西園寺」と号する山荘を営み、これを家号としたことが家名の起源と『公卿補任』『尊卑分脈』等に伝えられる。西園寺はもと公経の祖父・通季が建立した寺院に由来する名で、後に山荘・邸宅の名として継承されたとされる。この西園寺旧地には、後に足利義満が北山殿(現・金閣寺=鹿苑寺)を造営したことが知られる。
西園寺家は鎌倉期には関東申次(鎌倉幕府との交渉役)を世襲し、藤原氏北家閑院流の中でも最有力の家のひとつとして清華家(せいがけ)に列したと伝えられる。室町〜江戸期にかけても太政大臣・内大臣を多数輩出し、徳大寺家・三条家・今出川家らとともに閑院流公家の中核を成した。
明治維新後の華族令(1884年)により、西園寺家は当主・西園寺公望が侯爵に列せられ、後に元老としての功績により公爵に陞爵されたと『華族類別譜』等に記される。明治〜昭和期の同家は政治・外交の中枢に位置し、現代に伝わる「西園寺」姓の多くは旧公家家系・旧家臣家系の末裔と推定される。
西園寺家は藤原氏北家閑院流の藤原公経を家祖とし、鎌倉初期に京都北山の山荘「西園寺」を家号としたとされる。鎌倉幕府との交渉役(関東申次)を世襲し、承久の乱(1221年)以降の朝幕関係において重要な地位を占めた。南北朝〜室町期には清華家として太政大臣・内大臣を多数輩出し、江戸期には三公家(鷹司・近衛・九条)に次ぐ家格を保ったとされる。明治維新後は侯爵・公爵に列し、当主の西園寺公望は元老・首相として明治末〜大正期の政治の中枢にあった人物として知られる。同家の末裔および旧家臣・旧領民が「西園寺」姓を名乗り、現代では京都を中心に少数分布する希少姓となっている。
DISTRIBUTION
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FAMOUS PEOPLE
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鎌倉前期の公卿で、藤原氏北家閑院流の出。京都北山に山荘「西園寺」を営み、家号の祖となったと『尊卑分脈』に伝えられる。太政大臣に至った人物。
明治〜昭和初期の政治家・元老で、公爵。第 12・14 代内閣総理大臣を務め、最後の元老として国政に重きをなしたと史料に伝えられる人物。
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