戦国時代の「三英傑」と呼ばれる織田信長(1534-1582)、豊臣秀吉(1537-1598)、徳川家康(1543-1616)は、それぞれ幼名・元服後の名・壮年期の名・晩年の名と複数回の改名を経た人物です。本記事では三人の名前変遷を、史料に基づき中立的に紹介します。
織田信長の名前変遷
織田信長は幼名を「吉法師(きっぽうし)」、元服時に「織田三郎信長」と名乗りました。父・信秀の死後に家督を継ぎ、官位として「上総介(かずさのすけ)」を称し、晩年には「右大臣」や「右近衛大将」の官位を得ました。
信長は朝廷から「太政大臣」「関白」「征夷大将軍」のいずれかへの任命を打診されたという『公卿補任』の記録もありますが、本能寺の変(1582年)で48歳で没したため、任命は実現しませんでした。
- 吉法師幼名。
- 三郎信長元服後の名(1546年頃)。
- 上総介信長官位を称した(1554年頃〜)。
- 右近衛大将1577年。
- 右大臣1578年。
豊臣秀吉の名前変遷
豊臣秀吉は出自が低かったため、家系や仕えた人物に応じて何度も名前を変えた人物として有名です。幼名「日吉丸(ひよしまる)」、織田家臣時代の「木下藤吉郎秀吉」、織田家中での出世期の「羽柴秀吉」、関白就任時の「豊臣秀吉」と変遷しました。
「豊臣」は朝廷から賜った新姓で、秀吉が天下統一後に新たに創出した氏とされます。これは武士の出自では難しかった摂関就任を可能にするための、政治的に意味のある改姓だったとされます。
- 日吉丸幼名(伝説的、史料には乏しい)。
- 木下藤吉郎織田家仕官時の名(1554年頃〜)。
- 羽柴秀吉出世期の名(1573年頃〜)。
- 豊臣秀吉関白就任時に賜姓(1586年)。
徳川家康の名前変遷
徳川家康は松平氏の出身で、幼名「竹千代(たけちよ)」、元服時に「松平次郎三郎元信」、その後「松平蔵人元康」「松平蔵人家康」を経て、永禄9年(1566年)に朝廷から「徳川」の姓を賜って「徳川家康」となりました。
「家康」の名は今川義元から「元」の字を授かった「元康」から、織田信長との同盟後に「元」を捨てて「家康」となったとされます。江戸幕府成立後は征夷大将軍として朝廷から賜った名乗りも持ちました。

全世界の姓名判断や鑑定、占いを統合し、その英知を42年間学び続けた占い師。伝統的な熊崎式姓名判断に中国・韓国・台湾など東アジアの命名哲学、さらには西洋の数秘術までを横断的に研究。姓名判断大全の全記事を監修し、赤ちゃんの命名から改名・社名決定まで、実務的な指針の提供を使命としている。
