伊賀国柘植郷発祥の地形姓説(最有力)
伊賀国阿拝郡柘植郷は、現在の三重県伊賀市柘植町周辺にあたる古代以来の地名とされる。「柘(つみ・つげ)」は本来クワ科の落葉樹「ヤマグワ」の古名で、その木が群生した里という地形語に由来するとされる。この地に住んだ者が地名を姓として称した地形姓説が現在最も有力視されており、平安末〜鎌倉期の文書にも「柘植御厨」「柘植荘」の名が現れるとされる。
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SURNAME ETYMOLOGY
つげ/つけ/つむ/つばめ/ツゲ/ツケ/ツム/ツバメ/Tsuge / Tsuke / Tsumu / Tsubame
地形姓
「柘植」は伊賀国阿拝郡柘植郷(現・三重県伊賀市柘植町)に由来する地形姓とされる。古来「柘の木(つみ・つげ/クワ科の落葉樹)」が群生した山間の里に由来し、中世には伊賀国の交通の要衝として知られ、近世には忍びの里・伊賀流の拠点のひとつにも数えられたと伝えられる。
天格・人格・地格・外格・総格の五格を、熊崎健翁式 81 数理に基づき即時判定します。
STROKES & FORTUNE
天格(てんかく)は姓の総画数で、家系から受け継ぐ運勢を表します。姓名判断では他に 人格・地格・外格・総格 の五格があり、名前との組み合わせで運勢を判定します。→ 柘植姓で姓名判断する
STROKE ORDER
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THEORIES
伊賀国阿拝郡柘植郷は、現在の三重県伊賀市柘植町周辺にあたる古代以来の地名とされる。「柘(つみ・つげ)」は本来クワ科の落葉樹「ヤマグワ」の古名で、その木が群生した里という地形語に由来するとされる。この地に住んだ者が地名を姓として称した地形姓説が現在最も有力視されており、平安末〜鎌倉期の文書にも「柘植御厨」「柘植荘」の名が現れるとされる。
伊賀国の在地武士団・服部氏の支流が柘植郷に拠って柘植氏を称したとする伝承があり、室町期には柘植三郎左衛門ら柘植一族の名が軍記物に散見される。江戸期には徳川家康の伊賀越え(天正10年・1582年)を導いた伊賀武士のひとりとして柘植清広(柘植三之丞)の名が伝えられ、後に徳川家臣として旗本に列したとされる家系もある。
古代において「柘(つみ)」は弓の材として珍重された木であり、『万葉集』にも「梓弓・柘弓」の語が見えるとされる。柘の良材を産した山間の里に住み、弓材の供給に関わった集団に由来するとする職能関連説も指摘されている。読みの揺れ「つげ/つけ/つむ/つばめ」は中世以降の方言・宛字読みの定着とされる。
伊賀国阿拝郡柘植郷は、東海道と伊賀街道の結節点に位置する古来の交通の要衝で、平安末期には伊勢神宮領の柘植御厨が置かれたと伝えられる。中世には在地武士・柘植氏が拠り、室町〜戦国期には伊賀惣国一揆の有力国人として記録される。天正9年(1581年)の天正伊賀の乱で大きな打撃を受けたとされるが、翌年の徳川家康伊賀越えに柘植氏の一部が随行したと伝わり、近世には旗本・諸藩士として各地に分かれた。明治の苗字必称義務令(1875年)以降は地名を姓とする家が広く届出を行い、三重県を中心に全国で 1.7 万人規模に達したと推定される。
DISTRIBUTION
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FAMOUS PEOPLE
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戦国〜江戸初期の伊賀武士で、徳川家康の伊賀越え(天正10年・1582年)を導いた一人と『徳川実紀』等に伝えられる。後に徳川家臣として仕えたとされる。
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